Smile  3 



金曜日の朝が明けた。
幸いなことに、何も事件は起こらず、無事非番の日を迎えることができた。
ほっとしている自分を笑ってみる。

もう一度、もらったチラシを眺めて、終わりの時間を確認した。
最終日は撤去作業があるからなのか、少し早めに3時には終わってしまうようだ。

俺はまた朝飯も昼飯を食わずに、2時頃に出かけた。
なぜか足取りが軽く感じられるのは、気のせいだろうか。

店の前に着き、そっと中を覗いてみた。
今日は大勢の人がいて、あの男がいるのかどうかもよく見えなかった。
どうしようか。
飯は別のところで食ったって構わない。
俺は、結局扉を開けずに、飯を食う店を探そうと通りに戻った。
5mほど歩いたところで、急に後ろから、「ちょっと、待ってください!」
と、大きな声で呼び止められた。

振り返ってみると、あの男が立っていた。
「お待ちしていたんですよ!折角、お越しいただいたのに、混んでて入れなくって、すみません。
最終日だから、思った以上にお客様がいらしてくれて」
「よかったじゃないか」
「あの、あと1時間で終わるんです。
もしも・・・宜しかったら、もう一度、3時頃に来ていただけませんか?
そしたら・・・ゆっくり、ご覧になっていただけると思うので・・・」
「片付けとかあるんじゃないのか?」
「トラックが引き取りに来るのは5時なんで、大丈夫ですから」
「わかった、飯食って、3時にまた来るよ」
「あ、ありがとうございます」

その男は嬉しそうな顔をして、ペコペコと頭を何度も下げて、ギャラリーに小走りで戻って行った。
近くで適当な店を探し、時間を潰した。
あと1時間、本部からの呼び出しがないことだけを祈って。
スポーツ新聞を読んでもどこを読んでいるのかすぐにわからなくなり、時計ばかり見てしまう。
長針が360度、たった1周回るだけなのに、どんだけかかってるんだよ、
と、思わず怒鳴りたくなる。
昼飯も、味わうことなく、かっ込んで食べた。
別にいくら早く食ったところで、過ぎる時間が早くなるわけでもないのに。
ったく、何やってるんだか。

あと30分・・・

次に、時計を見たら、
まだあと28分・・・
コノヤロウ、
2分しか進んでねえ。

あのギャラリーまでは5分はかかる。
少し早く着いてもいっかと、45分には店を出た。

2時50分。
ギャラリーの正面まで行かずに少し離れたところから、見てみる。
まだ数人残っていたが、さっきよりは、はるかに少なくなっていた。
そろそろいいかな。

ギャラリーの近くまで行ったら、スーツを着た男が2人出てきた。
あの男も一緒に出てきて、「ありがとうございました」と、深々とまた何度も頭を下げている。
どうやら、その人達が最後の客だったようだ。

「ふぅ、びっくりした」
と、若い男が大きなため息をついた。

「もう、入ってもいいのか?」
「ああ、すみません、お待たせしちゃって、さあどうぞ」

男はイーゼルをたたんで店の中に入れて、扉についていたプレートを裏に返して、「CLOSE」にした。

「俺は一人で、見させてもらう。
君は何か片付けがあったら、してても構わないからな」
「大丈夫ですよ。後は、絵を梱包するだけだから。
まだ時間ありますし。あ、そうだ、何か飲みます?
俺、喉がからからで。一緒にコーヒーでもいかがですか?」
「ああ、じゃぁ、アイスで」

あの調子じゃ一日中、しゃべりっぱなしだったんだろうな。
男が喫茶のコーナーに行っている間、もう一度ゆっくり絵を見ていた。
正直どれがいいのか、まったくわからなかった。
でも、必死になって見てみると、色の感じが穏やかなオレンジ系のこの絵がいいかもしれないと思う。
それとも、オレの目で選ぶよりも、本人が一番好きな絵の方がいいのかもな。

男がトレイにアイスコーヒーを乗せて来た。
ギャラリーの真ん中に、折りたたみ椅子を二つ並べて座った。

「お疲れさん」
「ありがとうございます」
「大盛況だったじゃないか」
「おかげさまで、口コミで評判が伝わったみたいで、今日はオープンから、お客様が途切れませんでした」
「その、ひとつ、聞いてもいいか?」
「はい」
「失礼なことかもしれないのだが・・・
こういう絵は、売れるものなのか?」
「あはは〜俺、そんな売れっ子じゃないんで。
立派な画廊で個展ができるようなレベルじゃないんですよ。
正直、もちろん絵だけでは食えないんで、イラストとか挿絵のアルバイトもしてますしね。
この1週間で、1枚でも売れればなあって、思ってたんですが・・・」

男の声が段々小さくなっていった。
やはり、そう簡単に売れるようなものではないのだろう。

「俺が・・・
その・・・
良かったら、ひとつ、買わせてもらいたいんだが」
「いえいえいえ、そんなこと、結構です。
見ていただいただけでも、嬉しかったので」
「本当に、欲しいと思ったんだよ。
そういえば、俺ん家は1枚の絵もない、殺風景なマンションだなと」
「ご心配なく!実は、ちゃんと、売れたんですよ!
俺も、驚いたんですけどね。最後に来てくれた方が金融関係の会社の方で、社長が俺の絵が欲しいって言ってくれてるって。
3枚も買ってくださったんですよ。信じられない・・・」
「凄いじゃないか、よかったな。
でも、俺も本当に欲しいんだ。君の一番のオススメを売ってくれよ」
「本当に・・・いいんですか?」
「ああ、何にもない寂しい部屋だからな、本物の芸術に触れるというのも、いいんじゃないかと思って」
「ありがとうございます!わ〜嬉しいです!俺の絵を一番最初に見ていただいた方に買っていただけるなんて!
 もちろん、どの絵にも思い入れがあるんだけど、今回の展示に合わせて描いた一番のお気に入りのを是非!」
「じゃあ、それにしてくれ」

急に、その男が俺の手を引き、ある絵の前に立った。
それは、あのオレンジの絵。

「これなんです」
「そっか、よかった」
「え?」
「実は買うなら、これがいいかなって思ってたんだ」
「本当に?」
「ああ、本当だ」

その絵のタイトルは・・・

「Smile」

それは、暖かいオレンジ色の、
まるでお日様のような、
絵だった。

そして、
その男の笑顔のような、
絵だった。


「片付け、手伝ってやるよ」
「結構です、お客さんにそんなことしていただくなんて、申し訳ないですから」
「休みだって、何もすることがないんだ。一人でやるより、早く終わるだろ?」
「でも・・・」
「終わったら、何か予定でも入ってるのか?」
「いえ、別に」
「なら、酒でも飲みに行く?」
「いいんですか・・・? 本当に・・・」
「ああ、遠慮するな。打ち上げやろうぜ」
「ありがとうございます」
「よし、どうすればいいか、教えてくれ。
ちゃっちゃと片付けてしまおう」
「はい」

その男は嬉しそうに微笑み、また、頭をさげた。
俺も、笑った。
                         

    2009.12.12

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