寒波が日本列島をすっぽりと覆い、日本海側や北の地域ではかなりの積雪があった。
東京も気温がぐっと下がり、今にも雪が降り出しそうだ。
1月も半ばを過ぎたというのに、いまだにあちらこちらで新年会が続いている。
若頭補佐として、変に神経を使った後は、練の身体であたたまりたいと思うはいつものことだ。
日付が変わった頃、やっと今晩の接待を終えた誠一は、電話で連絡を入れてから、
南青山の練のマンションに向かった。
タクシーから降りて、練の部屋までのほんの数分の間に、
身体はすっかり冷え切ってしまった。
玄関のドアを開けてくれた練の頬に冷たくなった頬を摺り寄せる。
とにかく、1秒でも早くあたたかいものに触れたかった。
「誠一、冷たっ!お風呂、沸いてるよ。入る?」
「先におまえの身体であたためてもらおうかな」
そう言って、誠一は練の首筋に顔を埋め、練の身体をぎゅっと引き寄せた。
「もう、誠一ったら。いきなり?別にいいけどさ。
とりあえず、一息ついてからにしようよ」
練は誠一の手を引き、ソファに座らせた。
誠一は腕時計をちらりと見た。
「じゃぁ、一口だけ、酒をもらうかな」
「水割りでいいの?」
「あぁ、何でもいい」
練は誠一ために置いてあるバランタインで水割りを作って、テーブルの上に置いた。
誠一は、ふぅっと息を吐いてから、水割りを二口程飲んだ。
そして、また、腕時計を見た。
誠一は、その日の仕事を終えてから練のマンションに寄り、泊まっていくことがほとんどだったから、
この時間に次の予定が入っているとは思えない。
それとも、組の誰かからの報告でも待っているのだろうか?
あ!、っと練はあることに気が付いた。
誠一は気性が激しく、面白くないことがあれば、すぐに怒鳴りちらすことも多いのだが、
ごく稀に、とても子どもじみたことをするのだ。
些細なことに、焼き餅を焼いたり、自分の思い通りにならないと、むくれたり。
そうかと思えば、鼻高々に何かを自慢したり。
練は、気が付いた。
誠一の腕時計が新しいことに。
この場合、たぶん、誠一は褒めてもらいたいのだろう。
(あんな見方をしたら、バレバレだっての)
練は、思わず吹き出しそうになるのを、必死に飲み込んだ。
「あ、誠一、その時計新しいね、今まで見たことないけど」
誠一の顔が急にほころんだ。
練は、正解を確信した。
「いいだろ?日本じゃ手に入らないんだぜ」
いかにも、ヤクザが好みそうなド派手な時計ではなく、シックでとてもお洒落な時計だった。
「誠一、似合うね」
このブランドなら、おそらく片手は下らないはずだ。
さらに誠一は得意げな表情で、練の目の前に腕を翳して、時計を見せつけた。
「どうだ。いいだろ?
おまえも欲しいか?」
「いらない」
「可愛くねぇな。買ってやるよ」
「だって、日本には売ってないんでしょ?」
「土曜日、香港に飛べばいい」
「誰が?わざわざ時計だけのために舎弟達に行かせるの?」
「一緒に行くんだ」
「はぁっ?オレも?誠一ったら、何言ってんの。オレ、今仕事忙しいんだけど・・・」
「2泊位ですぐ帰ればいいじゃないか」
「だって・・・」
練はデスクの上に置いてある卓上カレンダーを見た。
そして、思わず「えっ」っと声をあげた。
「誠一・・・?知ってるの?」
練は、自分から、歳も誕生日も言ったことはなかったと思っていたが、
もしかしたら、酔っぱらった時に聞かれて答えていたのかもしれない。
誠一は照れているのか、視線を合わせないまま、ウイスキーをもう一口飲んだ。
「ま、別に時計じゃなくてもいいけどよ。おまえが欲しいもの買ってやる」
「欲しいものなんて何もないから」
「本当におまえは可愛くない奴だ。もうちっと素直になれよ。
なぁ、2〜3日、二人でのんびりしようぜ」
「本当に気持ちだけいいよ。ありがとう、誠一」
「あのな。誰に何の意地はってんのか知らねえが、俺がしてやりたいんだ。
クリスマスだって、おまえが何もいらないっていうから、ケーキだけだったじゃないか」
「嬉しいよ・・・誠一が・・・オレの誕生日を・・・知っててくれたってことだけで・・・」
練の瞳から、今にも大粒の涙が零れそうだ。
誠一は練の頭を掴み、自分の顔の方に引き寄せ、耳元で囁いた。
「二人で迎える初めてのおまえの誕生日なんだ。
最初に買ってもらったものは忘れないだろう?ん?」
二人で迎えるというあたたかい言葉に、堪え切れずに、
練の瞳から、涙がぽろりと零れた。
「うっ・・・誠一・・・
忘れるはずなんてないよ。
最初でも2番目でも、何番目でも、ずっと、ずっと・・・」
しゃくりあげて子どものように泣き始めた練の背中を、誠一は優しくさすってあげた。
「馬鹿野郎、こんなことで、泣く奴がいるか」
「も、馬鹿なのは・・・誠一でしょ・・・」
「泣いてなんかいないで、何が欲しいか、考えろ」
何もいらない。
練は、そう思っている。
ーーー本当に欲しいもの。
そんなこと誠一に言えるはずがない。
そして、それをくれる誠一は嫌なのだ。
それを貰ったら・・・
たぶん、生きていくことが辛くなるから。
だから、何もいらない。
これ以上、苦しい思いをするくらいなら、
最初から、与えないでほしい。
こんな思いを言葉に出すと、
たぶん、誠一のことだから、
「そんなもんでいいなら、くれてやる」
と言って、今すぐにでもくれるだろう。
だから、絶対に言わない。
「おい、まだ泣いているのか?」
「嬉しくて・・・嬉しくて・・・
何にしようか、考えなくっちゃって思ってたら、なんだか泣けてきた」
誠一が練の髪の毛をくしゃくしゃと掻き交ぜた。
「別に今すぐじゃなくてもいいぞ。
ゆっくり考えろ」
「ん、ありがとう。それから、20日は旅行なんて行かなくていいよ。
だって、移動だけに時間ばっかかかっちゃって、もったいないもん。
ここがいい。少しでも長くここにいてよ、ね」
「あぁ、わかった」
「20日、楽しみにしてる」
練はにこりと笑って、誠一の唇に自分の唇をそっと重ねた。
翌朝、誠一が帰る時に、
練は、この時計が欲しいと、誠一に告げた。
新しいものを買ってもらうのではなく、誠一が身につけていたものが欲しかったから。
それから、3日後の誕生日当日。
二人で迎えた初めての練の誕生日、
約束通り、誠一は自分の腕から時計を外し、練にプレゼントした。