紅縄  1989.4.   




人の大勢いるところに、わざわざ花見に行くなんてことはしないが、
毎年この時期になると、皐月の部屋に行く前にちょっと呼び出して、
マンションの近くの小さな公園に、一本だけぽつんと植えられている桜の木を、
二人だけで、眺めることにしている。
ま、ほんの形ばかりのお花見だ。
今日あたり、丁度見頃なんじゃないのか?
ヤボ用はさっさと切り上げて、皐月を呼び出してやろう。

公園の手前で車を止めて、携帯から皐月に電話をかけると、
思いもよらない返事が返ってきた。

「誠さん、ごめんなさい。今、どうしても手が離せないのよ。
鍋に火をかけているから、お花見は食事が終わってからにしましょうよ」

おいおい、酒飲んでから、外になんか出ないって。
何だかんだ言っても大抵のことは俺の言う通りにする皐月が、
こんなこと言うなんて珍しい。
でも、俺のために手の込んだ料理を作ってくれているのかと思うと、
まぁ、それはそれでいいじゃないかと、気持ちを切り替える。
俺はもう一度車に乗り直して、皐月のマンションに向かった。

「誠さん、本当にごめんなさいね。
今日はね、練ちゃんが私のために料理を作ってくれてるのよ!
と言っても、まだ色々教えてあげなくっちゃならないから、さっきはどうしても出れなかったの」

ビールを注ぎながら、皐月は嬉しそうに、死に損ないの話を始めた。
今日は自分のために、煮物を作ってくれていると言う。

「練ちゃんがねぇ・・・」

「練ちゃんたらさ・・・」

なんだよ、さっきから、練、練、練ばっかじゃねぇか。

と、そこに、突然、あの顔がにょきっと現れた。

「皐月さん、ちょっと、味見していただけますか?」

俺にはちょこんと頭を下げただけで、
さっと皐月の方に歩み寄り、にこりと笑って、小皿を皐月に渡した。

「う〜ん、そうね、もうちょっとだけ、お醤油を足してみて」
「はい」

しばらくして、また小皿を持って皐月のところにあいつがやって来た。

「うん、これで、大丈夫!とっても美味しいわよ、練ちゃん」
「よかったです。蕪がもう柔らかくなってきちゃったから、
もうこれで、火を止めておきますね」

ん?俺の好物の蕪と鶏の煮込みを作ってるのか?

出来あがった料理が皿に盛りつけられて、テーブルの上がどんどん埋め尽くされていった。

「誠さん、お待たせ!さ、いただきましょう!
今日は、これ全部練ちゃんが作ってくれたのよ」

何も言わずに死に損ないが皐月の隣に座った。

「うん、美味しい!練ちゃん、やっぱり、筋がいいわね」
「そんなことないです。皐月さんの教え方がお上手なんです」
と、小さな声で呟いてから、
皐月を見て、目を細めて笑った。


何なんだ。

こいつ。

こんな顔しやがって。

突然、ガツンと脳天を割られるような衝撃を頭のてっぺんから食らった。

何なんだ。

これは・・・

一体、何だというのだ。

この感情は。

畜生。

俺の皐月に・・・
という感情ではない。
何か別の物が腹の底から、湧いて来た。

得体のしれない光が俺の身体を突き抜けて行ったような・・・
何だか気色が悪い。

いや、突き抜けたというよりは、
刺されて、体内に何か留まっているような・・・

何なんだろう、
この感触は。

確かめるしかない。

自分の手で。




「帰る」
「え?だって、今来たばかりじゃないのよ。
折角、練ちゃんがお料理作ってくれたんだから、食べて行ってよ。ねぇ、誠さんったら」

「おまえ、ウチに来い」

「え?何言ってるの」

「俺のとこで仕事させる」

「仕事って・・・誠さん」

「早く、支度しろ」


死に損ないが茫然として、俺を睨んでいる。

さっきの顔とは、全然違う鋭い目で。


俺は、何をしたいんだろう・・・?



                               

    2011.10.17

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